昨日(1月26日)、池田いづみさんをゲストとして、下宿市民センターにてタウンミーティングを行いました。タウンミーティングの内容については、また別途報告する予定なので、ここでは、池田いづみさんのお話に出てきたベアテ・シロタ・ゴードンさんことを書きたいと思います。ベアテさんは戦後すぐGHQ民政局に民間人要員として採用され、GHQによる憲法草案の主に人権条項の起草に関わった女性です。
(池田さんはベアテさんが2007年に来日したおり、彼女と親密に話をする機会を持たれたそうです。ベアテさんが亡くなられた今となっては貴重な、そのお話の内容については、機会があれば別途、記事にしたいと思います。)
私(本サイトの中の人のひとり)は数年前、ベアテ・シロタ・ゴードンさんの『1945年のクリスマス―日本国憲法に「男女平等」を書いた女性の自伝』を読み、とても感銘を受けました。本書から少し引用します。
“私は、世界中の女性が手をつなげば、平和な世の中にできるはずだと思っている。地球上の半分は女性なのだから。その女性たちのパワーを集めることが大事だと思う。”
“戦争の原因になっているのは、宗教や領土、政治、経済と様々な理由があるが、なぜ皆「違い」を強調するのだろうか。どこの国の人でも共通点のほうがずっと多いのに。そのことを実感としてわかっているのは、女性だと思う。”
さて、本書に拠れば、GHQの初期草案には、
「すべての自然人は、法の前に平等である。」
と、あったそうです。実際の日本国憲法第十四条では、ここは、
第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
となっているのですが、「国民」と「自然人」では、何かが違う。私は元の「自然人」のほうが良かったのではないかと、個人的には思います。
「だって、日本国憲法なんだから当たり前じゃん。」
と思われるかもしれませんが、「国民」という言葉使いは自ずと国を前提としてしまいます。その言葉が選ばれた時点で主従関係が成立することとなり、その回路からは自ずと「お国のために」という考え方が導き出され、それを拒否する道が閉ざされてしまうように思われるのです。
それはさておき、ベアテさんが担当した草案の箇所に話題を絞ると、憲法第二十四条には、彼女の記述した夫婦平等、男女平等、といった草案の内容が活かされた条文となっています。
第二十四条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
また、憲法第二十七条、
第二十七条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
2 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
3 児童は、これを酷使してはならない。
この第3項も、ベアテさんの草案が色濃く反映された箇所だそうです。
『1945年のクリスマス』の内容は、GHQ草案に関する部分が全体の3分の1程度を占めるのですが、自伝でもあり、ひとりの女性が辿った数奇な人生という読み方をしても面白いと思います。ご興味があれば、是非、読んでみてください。私は単行本で読んだのですが、現在でも朝日文庫から出ています。