3月18日に「太陽の蓋」の自主上映会を行いました。参加者は24名でした。
(ご参加戴いたみなさま、ありがとうございました)
日時:2017年3月18日(土) 14:00~17:00
場所:生涯学習センター 講座室1(清瀬駅前アミュービル6階)
内容:「太陽の蓋」上映会、参加者による感想・意見交換会
会場のブラインドの不備で、場内が充分に暗くならないのが若干気になりましたが、映像や音響はなかなか良かったと思います。
上映会のあとの感想・意見交換会では、多岐にわたり様々なご発言を戴きました。
・関東在住で、実家の九州に避難したひとが経験した親との軋轢
・塾に通っていた中国人のお子さんは家族が国外避難し、その後、戻ってこられたこと
・原発と人間は共存できない、と映画を観てあらためて思った
・未だ原子力発電は実用化のレベルに達していない
(万一の事故でデブリ化した核燃料に対応できない、それ以前に、通常の放射性廃棄物の処理サイクルさえ未完成)
・原発にはいつでも原爆の開発に結びつけられるという国策(安全保障)の側面もあることをきちんと説明したうえで国民に選択させるべき
・双葉町にあった「原子力明るい未来のエネルギー」という看板は、その後、撤去された。(愚かな記憶遺産として遺しておいてほしかった)
また、映画の感想としては、劇中人物のセリフが強く印象に残っているというのもありました。
・撤退を認めたらこの国は終わりだ、という菅総理(当時)の発言。
・法律の建て付けの問題。(民間人に対して死ぬ覚悟を要する作業は強制できない)
・肝心なことを知らされていないのは日本人だけじゃないの?
(ドイツのWebサイトでは、いち早く放射性物質の拡散予測図を出していた)
・(情報が官邸にまったく上がって来なかったんだ、という言葉に対して)情報が上がっていたら何とかなったんですか。
・(修一が当時を振り返って)牛を飼っていて自殺したひと…あのとき日本中でテレビを見てた人たち、いまはどう思ってるんですかね。
・人は、すぐに忘れるもんだ。国が亡ぶ可能性は残っている。まだ何も終わっちゃいない。
その他、様々な問題を、あたらめて突きつける映画だったと思います。正直、作品としてはB級ですが(ごめんなさい)、通常の映画は所詮は別世界の出来事(それが映画の役割でもあるわけですが)なのに対し、この「太陽の蓋」は、観終わった後も、そのまま現実の日本の現状に、謂わば置き去りにされるという、決してほかの映画では味わうことのできないある種の気持ち悪さが最大の特徴であり、その「気持ち悪さ」から目をそらしてはならないって思います。(でも、現実は「何事もなかったかのような」日常への強引な引き戻しと、東京オリンピックへの誘導ばかりが目立ちます)
フクイチの廃炉への目処は未だ不明です。おそらく、いまこの世界に生きている人間の半数以上は、その終息を見ることもなくこの世を去るのではないでしょうか。
また、これからも、何らかのかたちで、福島と、東日本大震災を見つめ直す機会を設けたいと思います。