2016年12月19日、セシオン杉並で催された「映画『太陽の蓋』上映とロンドン報告会」に参加してきました。
残念ながら参加者は少なかったのですが、そのぶん、濃密な時間を過ごせたように思います。
最初に言っちゃうと『太陽の蓋』は、5年前の3.11のときの様々な想いを蘇らせるために、是非みなさまに観て戴きたい映画でした。
●内容
・ロンドン報告会
映画の上映は18時からでしたが、そのまえに1時間ほど、バジルさんとノブさんによるロンドン報告会がありました。(バジルさんはかつて小金井の市議会議員をされていて本名は若竹りょう子さん)
お二人とも現在イギリスで反原発デモなどの運動をされている方です。
イギリスで、JANUK(Japanese Against Nuclear UK) という、日本人の個人を中心に反原発・脱原発の声をあげようと集まった団体があり、2012年から活動されている由。詳しくは、JANUK(ジャンユーケーと読むそうです)のサイト http://januk.org/ をご覧ください。
イギリスには、CNDという、もう50年以上も前から活動している団体があり、そこのシンボルマーク(ああ、よく見かけるあのマークね、というやつです)は手旗信号からデザインされたものです、という印象的なプチ情報も交えながら、イギリスでの反原発運動の現状を説明してくれました。
CND (Campaign for Nuclear Disarmament:核軍縮キャンペーン) のサイト http://www.cnduk.org/
ロンドンには、周りに大使館が並んでいるような一等地にTEPCOのオフィスがあり、その前で毎週、反原発のデモを行っているとのことです。
・映画上映
そして、18時から『太陽の蓋』上映。130分という長い映画でしたが、途中、会場から嗚咽が漏れ聞こえる、そんなシーンもいくつかありました。
20時過ぎに映画は終わり、そのすぐ後に、シンガーの「ちゅーた」さんが「ふるさと」を歌う、ことになっていたのですが、残念ながら中断されました。(詳細は「感想」のほうに書きます)
・トークセッション
そのあと、ちょっとしたクリスマスプレゼント抽選会があって、私は「MAKE TEA, NOT WAR」缶バッジを戴きました。
このとき、なんとあの菅直人さんご本人がサンタ風の赤い帽子をかぶってプレゼントを渡して廻ってくれたのでした。
さて、バジルさんとノブさん、司会進行の木村結さん、そこにゲストとして菅直人さんと橘民義さんが加わり、トークセッションへ。
『太陽の蓋』製作者の橘民義さんによると、この映画の制作の意図は、できるだけ正しいことを遺そうと思った、と。
正しい、というのはおそらく単なる事実の羅列ではなく、陳腐な言葉になってしまいますが物事の「真実」あるいは「実相」ということなのだろうと思います。
バジルさんは、「ただちに影響はない」といった枝野さんに対し今でも怒っているようでした。あの言葉には「ただしそのうち影響が出るかもしれない」という言外の意味が込められていたって言われても、そんな百人一首のようなものは理解できない(理解したくもない)というような感じでした。リスクがあるということをちゃんと伝えてほしかった、と。
あと、映画の中で三田村邦彦さんが演じていた、菅直人さん。フクイチで次々と水蒸気爆発が起き、放射線量が高くなり命の危険性も高まるなか、作業員を撤退させるという話を聞いて、ギリギリまで頑張ってもらうしかない、撤退はあり得ない、と言ったときの経緯について詳しく語られました。
●感想
・ロンドン報告会
接続ケーブルが合わなくてプロジェクターが使えないというアクシデントがありながらも、イギリスを含めた欧州の反原発の動きを、クイズやプチ情報を交えながら分かり易く話してくれたことに感謝。特に、最初は推進派だったメルケルを脱原発派に変えたのが3.11だというのに、当の日本が原発推進に戻りつつあるという、なんともやりきれない現状認識が重く感じられました。
もう50年以上も運動を続けているCNDも、メンバーの減少や高齢化に悩んでいるとのこと。日本の反核運動や、憲法9条を守る会の人々にも全く同じことが言えます。
・映画上映
映画を観ていて、とても不思議な気持ちになりました。ハッキリ言って、見様によってはB級映画です(橘さん、スミマセン!)。
なぜか。あまりに映画的な外観をしているため、物語として見えてしまい、結果としてステレオタイプに映るのです。
でも、これは実際にあった話であり、実際に起こり得た黙示録なのです。その途轍もないズレに気づいたとき、観る者を不安定な宙吊り状態にしてしまう。
これは、他の映画では味わうことのできない、そして消化しきれないシコリを埋め込む映画でした。他の映画なら、観終わったあとに戻る日常があります。でも、ここでは、戻るべき日常が既に失われてしまっている…
映画を観終わって、すぐ後のことです。ちゅーたさんが「ふるさと」を歌い始め、その途端、年配の女性が「それはやめてください」と声を上げました。福島から避難してきた人が知り合いに居て、その人は「ふるさと」は辛すぎて聴けないと言っていたそうです。そして、その人のことを想うと聴く気になれない、と。
ちゅーたさんは「私も2年くらいこの歌を歌うことはできなかった。言葉では伝えられないことも歌なら伝えられる、だから歌わせてほしい」と。進行の木村さんも「聴くのが苦痛な方は一次的に席を外し会場の外で出ていてください」と言ったが、さすがに映画を見た直後では気持ちの整理がつかない、という男性も出てきて、収拾がつかなくなり、結局、歌は取りやめとなりました。
その年配の女性は、違和感がある、とも言っていました。たしかに、これは「感動ポルノ」のように映ったかもしれない。しかし、それは似て非なるもの。まだ、うまく説明できませんが、むしろ正反対のものだったと思う。
それはまた、自主避難した人々(映画の中でもそのような夫婦が出てくる、また、バジルさんもその一人だった)と、たとえば福島に残った人々との亀裂の構造そのままのように、私には思われました。
・トークセッション
菅さんご本人から当時の話を直接聞けたのは、やはり圧倒的に印象に残りました。
参加者からの質問タイムもあり、私もひとつ質問したのですが、もっとうまく言えればよかったなと反省してます。
私は、原発推進の側面として、経済性だけではなく、核兵器をいつでも保有できるための国策として明確に定められているのではないか、と聞きたかったのですが、ニュアンスを上手く伝えられなくて、ど真ん中の回答をもらい損ねてしまいました。
質問タイムでは、時間があまりなくて残念でした。
いろんなことをグルグルと考えさせられた一夜でしたが、キリがないのでこのへんで止めておきます。